掲載日:2017年04月30日

1862年5月16日(文久2年4月7日)、孝明天皇は幕府老中が提出した10年後の攘夷決行を約束した誓書を公表します。朝廷に対する長州藩の働きかけもあって、世情は外国人排斥運動に傾いていき、幕府は非常に苦しい立場に追い詰められていきます。同時に、岩倉具視も和宮降嫁に尽力して幕府と朝廷の提携関係を強化しようとしたため、幕府寄りの立場と誤解され、日に日にその身が危うくなってきました。その身を潜めた岩倉の地に移り住むことが、目前に迫ってきました。