掲載日:2017年12月03日

 1862年12月14日(文久2年10月23日)、岩倉具視が岩倉村に住み始めて2週間ほど経過した頃、養嗣子の具綱や侍女の槙山からの書状が到来します。具綱の書状には、叔母の洗子や長女増子からの和歌が記されていたり、屏風やその他の品が添えられていました。槙山からの書状には、京都市内の状況が記されており、夜間外出の禁止の通達が出されたことやその原因が辻斬りが横行していることなどが記されていました。今後の雄飛を期して様々な思いで過ごした旧宅を是非ご覧ください。