掲載日:2019年09月01日

1862年9月1日(文久2年8月8日)
 和宮降嫁について三条実美らからの弾劾を受け、前月に近習の職を辞した岩倉具視。しばらくは自邸で慎んでいたところ、反対派から職を辞するだけでは生ぬるいという上奏文が提出され、周囲からの攻撃に気が滅入ってきます。長男・具綱からは、何事も済んでしまったことは仕方がないので、体を大事にして欲しいと慰められます。その後、岩倉村へ移り住み、和歌を詠み過ごしながら、復活の日を願って生活をした旧宅をぜひご覧下さい。