掲載日:2020年02月02日

1866年2月24日(慶応2年1月20日)、松尾相永から岩倉へ京都の情勢を知らせる手紙が届きます。長州征伐後の交渉を担当していた永井尚志が大坂へ戻った後、今後再度戦端が開かれるのではないかとして幕府も大坂で軍備を整えてつつあることや、宇治や黄檗近辺に備前藩が広く滞在していることなど、様々な噂が具視に知らされます。昨年秋から薩摩藩との繋がりが出来たとはいえ、まだまだ歴史の表舞台に出ることが出来ないことに、まんじりともせず状況の推移を見守って過ごした旧宅を是非ご覧下さい。