掲載日:2018年08月01日

1862年9月9日(文久2年8月16日)、岩倉具視は尊皇攘夷派の台頭によって立場が悪くなったことから、前月には近習を辞職したが、それでも追撃は止まず、三条実美らにより幕府に媚びへつらう「四奸二嬪」として弾劾を受けることとなります。ここにいたって岩倉は出家をして京都を出ることを余儀なくされます。ここから岩倉の政治的苦境が始まり、旧宅での艱難の日々が始まります。臥薪嘗胆の生活を過ごした、旧宅を是非ご観覧ください。