掲載日:2019年07月06日
1866年2月8日(慶応元年12月23日)、この日、岩倉具視の次男・周丸はこの日に元服することが決まった。数え年15才。洛中から離れて約3年、この間も様々な政治的な動きがあり、第1次長州征伐が幕府側の勝利のうちに終了した。岩倉の耳にも、凱旋報告のために徳川家茂が上洛するとのうわさが聞こえてきた。友人であり、姉婿でもある中御門経之からの情報では、将軍は上洛するようだがまだ具体的な日程は決まっていないようだと知らせがあった。薩摩藩、近衛家、中川宮、それぞれの情報も岩倉の所へ届いています。岩倉の地に暮らしながら、次なる手立てを立てるために、洛中の情勢を逐次受け取り、思索の日々を過ごした旧宅を是非ご観覧ください。