掲載日:2019年07月06日
1867年4月26日(慶応3年3月22日)、第2次長州征伐が幕府側の事実上の敗北に終わり、小倉口の総督であった老中・小笠原長行が大坂に戻って罷免され、何やら虚説様々な風聞が岩倉具視の元にも聞こえてきだした。薩摩藩の動きが怪しいとみられたことや、会津藩が宇治や比叡山を要害として兵備を整えている、米沢藩が大津や草津へ兵士を派遣して細かく宿改めをしている、そのうち幕府が幼い天皇を交代させるのではないか、などなど。不安な時期ではあるけれども、こういう時こそ静謐を保って油断なく対応していこうと、同志の中山忠能へ手紙を送っています。明治維新までの苦しい道のりを耐え忍んだ旧宅を是非ご覧ください。