掲載日:2019年10月01日
1867年10月7日(慶応3年9月10日)
武力倒幕に向けて薩摩藩と土佐藩の同盟「薩土盟約」を結び、中岡慎太郎は土佐藩の兵力を京都へ集結できるように板垣退助、片岡健吉らに働きかけ、いよいよその時が迫ってきました。しかし土佐藩参政・後藤象二郎は坂本龍馬らと共に大政奉還による平和裏の政権返上を働きかけることになったため、挙兵を急ぐ薩摩の西郷に不審を抱いて盟約を解消、土佐藩の兵力は大坂に留め置くことになります。薩摩・土佐の兵力結集による武力倒幕を考えていた岩倉に対し、中岡は土佐の急遽の路線変更を詫びる手紙を送ります。戦争による変革と平和裏による政権返上の、それぞれの勢力の抜きつ抜かれつの激しい競争の舞台となった旧宅を是非ご観覧下さい。