1862年12月

1838年12月14日(天保9年10月28日)、13歳になった岩倉具視は従五位下という官位をもらいました。この官位をもらうことは朝廷に仕える貴族としてのスタートラインに立ったという意味がありました。この後、1839年1月25日(天保9年12月11日)には元服して昇殿を許されます。この日から、想像も出来ない波乱万丈に満ちた岩倉具視の政治生活が始まります。岩倉村に幽棲し、不遇の身から後の雄飛を夢見て暮らした場所をぜひご覧ください。dscn0740

1862年11月

dsc_0050_001862年11月3日(文久2年9月12日)夜、岩倉具視の屋敷に、言われのない罪を列挙された上、「今日明日中に洛中を引き払わないと暗殺する」と書かれた投書が届けられます。身の危険を感じた具視は、非常な無念を感じつつ11月4日夜には西加茂にある霊源寺へ移り住みました。この事件をきっかけに具視は、後にこの旧宅へ移り住むことになります。無念を感じて落涙しつつ洛中を去った具視の思いを旧宅から感じてください。