岩倉具視の生涯

文政8年/1825年 1歳 前権中納言堀河康親(やすちか)の第二子として生まれる。
幼名周丸(かねまる)。
天保9年/1838年 14歳 岩倉具慶(やすとも)の養子となり名を具視とする。
従五位下に叙せられ、昇殿を許される。
嘉永6年/1853年 29歳 関白鷹司政通の下、歌道を学ぶ。この年、ペリー来日。
安政元年/1854年 30歳 孝明天皇の侍従となる。従四位下に叙せられる。
安政4年/1857年 33歳 従四位上に叙せられる。天皇の近習となる。
安政5年/1858年 34歳 日米修好通商条約締結に反対し意見書「神州万歳堅策」を孝明天皇に内奏する。この年、安政の大獄。
万延元年/1860年 36歳 公武合体策として孝明天皇の妹和宮の将軍家への降嫁に参道する上申書を提出。この年、桜田門外の変。
文久元年/1861年 37歳 正四位下に叙せられ、和宮に随行して江戸へ下行。
文久2年/1862年 38歳 朝廷内の尊攘派の台頭により辞官、落飾して蟄居。霊源寺、西芳寺を経て、洛中からの追放令により、洛北岩倉村の藤屋藤五郎の廃屋を借りて幽棲する。
元治元年/1864年 40歳 大工藤吉の居宅を購入し、移り住む。後に主屋を増築したのがこの旧宅である。
慶応元年/1865年 41歳 政治活動を再開。公卿中御門経之、薩摩・水戸・土佐藩士らと交流する。
慶応2年/1866年 42歳 関白を辞職した近衛忠熙の復職を画策するなど、政治活動が活発となり、幕府の命により桑名藩に監視される。この年、孝明天皇崩御。
慶応3年/1867年 43歳 坂本竜馬・中岡慎太郎・大久保利通など岩倉宅を訪問。その後、洛中帰住を許され、王政復古に尽力する。この年、大政奉還。
明治元年/1868年 44歳 新政府の議定兼輔相となる。
明治4年/1871年 47歳 外務卿、右大臣に命じられ、特命全権大使として欧米各国を歴訪する。
明治6年/1873年 49歳 帰国後、太政大臣代理となり西郷隆盛の意見を退け征韓論を排する。
明治7年/1874年 50歳 赤坂喰違坂にて暴漢に襲われ負傷する。
明治15年/1882年 58歳 菊花大緩章を受ける。
明治16年/1883年 59歳 京都に戻り御所保存の計画を立てるが、病のため東京に戻り治療に専念する。7月20日、病状の悪化により死去。国葬の礼を賜り、正一位太政大臣を追贈される。