掲載日:2019年07月06日

1867年6月27日(慶応3年5月25日)、姉婿の中御門経之から手紙が届き、状況の悪化に伴って、とうとう朝敵の名を与えて幕府を打つしかない、もう岩倉村に潜んで暮らすのは止めて、各藩に大きく働きかけようではないか、といった内容が書かれていました。この春には岩倉も幕府はもう不要で、軍事も含めて朝廷で行うべきだとの見解にたどり着いていました。討幕の密勅の作成まであと少し、ついに天下の大変革の時が近づいています。一室から天下の構想をまとめた旧宅を是非ご観覧ください。