掲載日:2019年07月06日

1868年7月27日(明治元年6月8日)、江戸城無血開城がなったもの、彰義隊が上野寛永寺に立てこもっており、まだ江戸市中には不穏な空気が漂っていました。。江戸滞在の三条実美から彰義隊討伐に成功した手紙が届くと、岩倉はこの日に三条へ手紙を出し、江戸へ下向した意味もこの一戦の勝利にあったと
これまでの心労を労います。幕末維新の最前線でもっとも尽力した公家の二人だからこそ分かち合える思いでした。三条との対立によって、不遇を囲った日々を過ごした旧宅を是非ご覧下さい。