掲載日:2017年11月01日

1863年2月9日、旧暦で文久2年12月21日に当たり、岩倉具視の生活も年の瀬の様相を呈してきます。この日は但馬屋長兵衛という商人が年末の請求に来たので止むを得ず面会したと日記にあります。数日後の文久2年12月25日には、不遇の過ぎる年から来る年に期待を掛けてのことでしょうか、石座神社に参詣しています。

 不遇の中、明日の希望を託して過ごした旧宅を、当時をしのんで是非御覧ください。

掲載日:2017年10月01日

1862(文久2年)10月19日、岩倉村へ来て2ヶ月が過ぎた頃、妻・誠子が初めて見舞いとして岩倉村へやって来ます。誠子はこの日は一泊するとのことだったので、近所で世話をしてくれていた三四郎夫妻から餅などの頂き物などもあり、この日は久しぶりの心和む日だったのではないでしょうか。不遇の日々を過ごした旧宅を、幕末当時の岩倉具視がここで何を思い、後の雄飛を夢見たかに是非思いを馳せてご覧ください。

掲載日:2017年08月12日

1862年9月13日(文久2年8月20日)、岩倉具視は、天皇の側近くで仕える職を失い、10月31日には出家を命じられます。その後、霊源寺や西芳寺を経て、この岩倉の地に移り住みます。そして藤屋藤五郎宅の廃屋に住んで2年経った元治元年に、元大工の家屋を買い取って移り住んだのが、この旧宅の附属屋です。幕末当時の岩倉具視がここで何を思い、後の雄飛を夢見たかに是非思いを馳せてご覧ください。

掲載日:2017年07月01日

1867年7月26日(慶応3年6月25日)、晴天の中、早朝から才谷梅太郎と横山寛三と名乗る二人の武士が岩倉具視を訪ねてきます。この二人こそ、この年秋に行われる大政奉還の立役者である坂本龍馬と中岡慎太郎です。坂本と中岡は7月23日(6月22日)に大政奉還を基本方針とした王政復古を目標とする薩摩・土佐の盟約を成立させており、岩倉は旧宅で二人と会って、様々な話をしたと日記に記しています。歴史の舞台となった旧宅で、当時の息吹を感じてみてください。

 

掲載日:2017年05月30日

1862年6月12日(文久2年5月15日)、岩倉具視は左近衛権中将に転任した。前年10月の和宮東下の功績によります。岩倉にとってのこの世の絶頂の瞬間です。しかし岩倉の明治以前の出世はここで止まり、この後、暗殺の予告を避けるために11月4日(9月13日)には洛中を出て、霊源寺、西芳寺と移り住み、ここ洛北岩倉へ辿り着くことになります。

 

掲載日:2017年04月30日

1862年5月16日(文久2年4月7日)、孝明天皇は幕府老中が提出した10年後の攘夷決行を約束した誓書を公表します。朝廷に対する長州藩の働きかけもあって、世情は外国人排斥運動に傾いていき、幕府は非常に苦しい立場に追い詰められていきます。同時に、岩倉具視も和宮降嫁に尽力して幕府と朝廷の提携関係を強化しようとしたため、幕府寄りの立場と誤解され、日に日にその身が危うくなってきました。その身を潜めた岩倉の地に移り住むことが、目前に迫ってきました。

掲載日:2017年03月26日

1868年4月6日(慶応4年3月14日)、明治天皇の勅命によって京都御所にしつらえられた紫宸殿の祭壇で三条実美により「五箇条の御誓文」が読み上げられる儀式が執行されました。明治新政府の基本原則となる五箇条の御誓文は由利公正や福岡孝弟、木戸孝允、岩倉具視らの議論により作成されたものです。中央政界で躍進する岩倉具視が、5ヶ月前までは岩倉村に起居していた旧宅を是非ご観覧下さい。

 

掲載日:2017年01月01日

 

20170201明治新政府は、大政奉還をしたとはいえ旧幕府の勢力も侮れず、また各勢力の寄り合い所帯でまだ一丸でなかったため、1868年2月2日(慶応4年1月9日)、岩倉具視によりリーダーシップを発揮できるよう、明治天皇から参議・議定に加えて副総裁の兼任を命じられます。この地で親交を深めた大久保利通をパートナーとして活躍する基盤となった旧宅を是非ご覧ください。

掲載日:2017年02月27日

 岩倉使節団は1872年3月4日(明治5年1月25日)、最初の寄港地アメリカで大統領のグラントと会見します。欧米列強から強いカルチャーショックを受ける旅の始まりでした。
 サンフランシスコに滞在した際に撮影した岩倉具視と使節団メンバーの写真も対岳文庫にて展示しております。ぜひご覧ください。

掲載日:2017年01月29日

%e6%97%a7%e5%ae%85%e6%ad%a3%e9%9d%a2%e9%81%a0%e6%99%af_011867年1月3日(慶応3年12月9日)、御所へ参内した岩倉具視は王政復古の大号令案を明治天皇へ奏上します。岩倉具視らは新政府の人事を発表し、明治新政府が樹立されました。幽棲旧宅で過ごした期間に考えた政策が結実し、岩倉のこれまでの苦労が実った瞬間です。岩倉具視が明治維新に向けてさまざま施策を練り、志士たちと会合を重ねた旧宅でぜひ歴史の息吹を感じてみてください。