掲載日:2016年12月02日

1838年12月14日(天保9年10月28日)、13歳になった岩倉具視は従五位下という官位をもらいました。この官位をもらうことは朝廷に仕える貴族としてのスタートラインに立ったという意味がありました。この後、1839年1月25日(天保9年12月11日)には元服して昇殿を許されます。この日から、想像も出来ない波乱万丈に満ちた岩倉具視の政治生活が始まります。岩倉村に幽棲し、不遇の身から後の雄飛を夢見て暮らした場所をぜひご覧ください。dscn0740

掲載日:2016年10月16日

dsc_0050_001862年11月3日(文久2年9月12日)夜、岩倉具視の屋敷に、言われのない罪を列挙された上、「今日明日中に洛中を引き払わないと暗殺する」と書かれた投書が届けられます。身の危険を感じた具視は、非常な無念を感じつつ11月4日夜には西加茂にある霊源寺へ移り住みました。この事件をきっかけに具視は、後にこの旧宅へ移り住むことになります。無念を感じて落涙しつつ洛中を去った具視の思いを旧宅から感じてください。

掲載日:2016年09月30日

10月22日(土)、石座神社で火祭りが行われます。この祭礼は松明を用いた神事で、朝神事と昼神事の2つに分かれて執り行われ、朝神事は午前2時30分から神事が行われ、3時に松明に点火、松明が燃え尽きる5時ごに大人神輿が神輿御旅所に向けて出発し、6時30分ごろに御旅所へ到着する。昼神事は14時ころに行列が御旅所を出発し、16時ころに神事が行われた後、拝殿前で岩倉踊が奉納されます。

 岩倉具視は岩倉村に移り住んですぐに石座神社へ参拝したことが日記(文久2年12月25日)にも見受けられ、しばしば参拝したと伝わります。また後には岩倉家から神社へ灯篭や田畑を寄進したと伝わっています。岩倉具視が参拝した石座神社は当施設から北へ徒歩約5分ほどのところにあります。当施設にご来場の際は是非石座神社にも立ち寄ってみてください。

掲載日:2016年09月26日

1862(文久2)年9月9日にはに岩倉具視は、天皇の側近くで仕える職を失い、出家を命じられます。その後、霊源寺や西芳寺を経て、この岩倉の地に移り住みます。そして藤屋藤五郎宅の廃屋に住んで2年経った元治元年に、元大工の家屋を買い取って移り住んだのが、この旧宅の附属屋です。幕末当時の岩倉具視がここで何を思い、後の雄飛を夢見たかに是非思いを馳せてご覧下さいませ。